統合失調症はダウンシフトの夢を見る

統合失調症はのらくら生きたい

止まない雨の中を合羽を着こんで歩いてく

統合失調症が転機となって結果的に良かった事1

今回書く事は、damemon個人の考え方、価値観、生き方に関する事であり、統合失調者に共通する事ではありません。

 幻聴や妄想等の陽性症状が治まっても、暫くはぐったりして無気力になる陰性症状に突入し、部屋で横になるだけの日々が続いていました。
 ぼんやり空を眺めながら、何でこんな事になったんだろうと、つらつら考え続けていました。出来ない事だらけで、空っぽな自分になってしまったと嘆いていました。

 発症のの引き金になったのは
・アパートの隣人トラブル
・過労
・職場の人間トラブル
 この3つのストレスが重なったためと考えていました。

 古い木造アパートに住んでいたのですが、隣に越してきた男性は、こちらがカサリとでも音を立てると、怒鳴って壁ドンをするので、気が休まる事がありませんでした。大家さんに相談しましたが、高齢で気が弱い女性でしたので、恐くて注意できない、との事でした。

 仕事は毎週仕様変更があり、週明けがその締め切りで、終電ギリギリまで働き、土曜も出勤していました。

 職場には文書作成をする派遣女子も居て、仕事の手を抜くはサボるはのクセに、私が残業する事に目くじらを立て、いびられていました。
 当時の私は、派遣たるもの向上心を忘れずにスキルを磨き続けなければ、労働市場で生き残れない、と考えていたので、そんな彼女に苛立ち、軽蔑していました。
 何でいびられなきゃならなかったのか。
 ある日、私のイライラや軽蔑が伝わって、それに腹を立てていたのかもしれない、と思い至りました。
 働き方は人それぞれでいいはずなのに、勝手に自分の価値観だけで人を評価していたのです。

 我が身を振り返ってみると、こうあるべき、と言う基準が自分の中に結構ある事に気が付きました。
 その「べき」で自分を縛り付け、他人や世の中を評価し、不寛容な人間になっていたのです。

 そこで、自分の基準に疑問をぶつけてみる事にしました。
・向上心を持つべき?誰もが向上しなくてもいんじゃない?
・中身の濃い人間にならなくては?空っぽな人間でも別にいいんじゃない?
・自分に厳しく?ゆるくてもいいんじゃない?
・強くならなくては?弱くてもいいんじゃない?
・人生を充実させなければ?ほどほどでいいんじゃない?
などなど。
 ぶつければぶつける程、楽になりました。
 不寛容である事で、自分を追い込み他人と衝突し、ストレスフルになっていた事に気が付けたのです。
 それ以来、寛容な人間になろうと努力し続けています。

 いいきっかけになりました。