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私の職場にはお盆休みが無いので、14日から普通に出勤していました。
この地方も35度近くあって、汗をかきながら徒歩通勤しています。
それでも百日紅やノウゼンカズラの花が通勤路を彩ってくれるのが楽しいです。
兄夫婦は16日に帰って行きました。
あちこち遊びにも行っていましたが、偉業を成し遂げました。
それは、機織り機の解体です。
母は手芸が好きで色々な手芸に手を出していました。
その内の一つが、割き織でした。
そのために中古の機織り機を購入し、元の私の部屋に置いていたのです。
元の私の部屋は、私が都会へ出てからは母の部屋になっていたのです。
手芸を楽しんでいた母ですが、5年ほど前から目が疲れると言って一切の手芸を止めてしまいました。
機織り機も無用の長物と化していました。
私が後を継げば良かったのでしょうが、仕事でへとへとになったところで機織り何て無理です。
以来、母から誰かもらってくれないかな、と言われるようになりました。
しかし貰い手を探すにジモティーを使うにしても、貰い手とのやり取りが面倒くさそう。
そして部屋から出すのにばらさなくてはならないのですが、説明書が紛失していて無理そう。
部屋に入れる時は父が組み立てたのでしょうが、父はもう頭も体もよぼよぼです。
以上の点で貰い手探しを断念していました。
そんなある日、兄が父の寝室を1階に移そうと言い出しました。
元兄の部屋はと言えば、床が湿気でぶわぶわになっているので無理。
となると元私の部屋が候補に挙がる訳です。
機織り機が邪魔で…と兄に言うと、今度帰省した時に解体してやるよ、と言ってくれたのでした。
丁度ハンディチェンソーを買っていたのでそれを話すと、いいね、と喜んでいました。
そしてこの度の帰省で解体に挑んでくれたのです。
一日で済むかなと思ったのですが、そうはいかなかったのです。
機織りの衝撃に耐えるよう、木がとても硬かったそうです。
毎朝解体ショーをして、くたびれたら遊びに行く、と言う事を繰り返していました。
冬に持ち越すかも、と言っていましたが、なんとか今回の帰省中に全て50cm程度に切ってくれました。
お陰であとは燃えるゴミの日に出すまでになりました。
一度に二束しか出せないので、何回かに分ける事にしました。
解体に当たり母がストップをかけないかハラハラしましたが、そんな事もなく。
全て束ねられて木くずも掃除された部屋を眺めると、すっきりしたわ、と喜んでいました。
5年も経つと遠い過去になるんでしょうかね。
燃えるゴミの日に早速二束出しました。
一度に抱えようとしましたが、重い。
一束ずつ抱えて運びました。
こりゃ難儀する訳です。
ふと重すぎて回収してくれないんじゃ…と心配になりましたが、仕事から帰宅する時にゴミ置き場を見に行くと、きれいに片付いていてほっとしました。
私が統合失調症にならなければ、うまく構造を理解して分解して、貰い手を見つけて軽トラを借りて運んで、と言う事も出来たのかもしれませんが。
構造も理解できませんし、運転もできなくなりました。
機織り機には申し訳なかったけれど、仕方のない結末ですね。