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私の住む地方も6月から暑くて、7月並みの気温でした。
そのせいでしょうか。どくだみが大繫茂しました。
ブルーベリーの周りにもワシャワシャ。
抜こうかと思ったのですが、ふと思いついたのです。
このままにしておけばカモフラージュになって、ブルーベリーの実を鳥に食べられないのではないかと。
実験として抜かずにおこうと思いました。
まあ、言い訳です。
暑くて草むしりが嫌だったのです。
ブルーベリーの緑の実は、一つ、また一つと言った感じで色付きます。
しばらくは順調に鳥に先んじて収穫できました。
しめしめ。
ある日仕事から帰宅すると、ブルーベリーの周りがすっきりしている事に気が付きました。
父がむしったのです。
雑草だけではありません。
ブルーベリーの彦枝までねじ切られていました。
そこにも実は成っていたのに。
父になぜブルーベリーの枝までむしったのか聞いたのですが、分からない、です。
がっかりしました。
それからはブルーベリーは熟しそう、と思ったその夕方には無くなりました。鳥にやられたのです。
別の日には、水仙がむしられていました。
がっかりしました。
植えた当人の母も大いに嘆きました。
そして先日、帰宅すると玄関先の鉢にアガパンサスが一株植えられていました。
あれ?地植えにしてなかったっけ?
それに蕾が3つだったから、3株あったと思うんだけど、残りの二つは?
ていうか、こいつの蕾もなくなってるんだけど。
家に入って母に聞くと、父がむしってしまい、母が慌てて鉢に植え替えたそうです。
元々植えてあった所に行ってみると、残りの二株は無残にも、球根と葉がバラバラにされていました。
一気に悲しくなりました。
家に戻って父に、もう草むしりはやめてくれと言いました。
父は花と雑草の区別がつかないのだから、花が全部抜かれてしまう、やめてくれとお願いしました。
父は分かったと言いました。
しかし5分前の事も忘れる父です。
きっとまたむしり出すでしょう。
きっと花が全部むしられてしまう。
水仙も、秋海棠も、都忘れも、海老根欄も、雪ノ下も。
一つ一つ数え上げて行くと、どんどん悲しくなりました。
死の庭になってしまう。
花は私の心の支えだった。
生きがいだった。
それが無くなったら生きていけない。
花が咲かなくなった庭を見る前に、いっそ死んでしまいたい。
そう思いました。
ぼんやりと、私が死んだら推し同僚さんは悲しんでくれるかな?と思いました。
悲しそうな顔を思い出しました。
あれは、推し同僚さんにフラれてあきらめて、見つめるのをやめて三日目。
悲しそうにこちらを見つめていた時の顔です。
またあんな思いをさせてはいけない。
思いとどまりました。
思い出しついでに、最近の推し同僚さんの顔を思い浮かべました。
ずいぶん日に焼けています。
外回りだからでしょうか。
他の外回り社員さんより焼けているように思います。
そう言えば屋外スポーツが好きなんだっけ。
今度、日焼けしましたね、と話しかけてみようかな?
などと想像してみたら、気持ちが浮上しました。
やはり推しは偉大ですね。
認知症の家族がいると失うものは多いでしょうし、あきらめなければならない事も多いのでしょう。
それでも推しの存在を頼りに耐え抜こうと思います。
翌朝起きてみると、母の姿が見当たりませんでした。
探してみると、庭で何かしていました。
安心してお弁当を作っていると母が戻ってきました。
何をしていたのか聞いてみると、根っこだけになったアガパンサスを植えなおしたそうです。
無事に復活してくれるといいなと思います。