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老人ホーム入居からの振り返り

ご訪問頂きありがとうございます。

父が亡くなってからつらつら考えていた事をまとめさせてください。

・施設の規模
父が入居した老人ホームは1フロア30人計90人の大きな施設でした。
施設探しを始めた時に叔母(大叔母を施設に入れている)からは、大きくない施設の方がいいよとは言われていたのです。
ただ、入院していた病院の退院が迫っており、嚥下食に対応して個室にトイレがあって空き室があって遠くない施設は2か所だけでした。
施設見学はその叔母に付き合ってもらいました。
最初に見学した施設はそれほど大きくなかったのですが、13時少し前に入ると、入り口に面した事務室には誰もおらず、案内の人も13時ちょうどに外からやって来ました。
1F2Fそれぞれにホールがあり入居者が数人いましたが、介護スタッフは誰もいませんでした。
人手が足りてないと判断し、そこへの入居は見合わせました。
次に見学したのが、入居した施設です。
入り口から入ると事務室からさっと人がやって来て用件を聞いてくれ、行き会うスタッフさんは元気よく挨拶してくれ、各フロアのホールには介護スタッフ2名が常駐していました。
雰囲気がいいなと感じ、叔母も人手が行き届いているねと言ってくれたので、そこに決定したのです。
しかしです。
父の最後の入院のきっかけとなった通院で、老人ホームの看護師さんから夜はフロアに一人しか介護士さんが居なくて、30人を見て回る間に父が何度も失禁したり下痢をするので、失禁パンツに尿取りパッドだけの父は服やシーツを汚してしまう、何とかオムツが出来るようにお薬をもらってほしいと言われました。
その時はひたすら申し訳なく、とにかく落ち着く薬をもらわねばと思いました。
精神科の看護師さんに、父がリハパンをむしってしまうので落ち着くようなお薬をもらえないか相談すると、
「施設の人に言われたのね。施設はすぐに薬漬けにしようとするんだから。」
と怒っていました。
私はそうは言っても、介護士さんは大変なんだから何とかしなければとの気持ちでいっぱいでした。
今にして思えば、規模が小さい施設だったら、もう少し頻回に見回ってもらえたのかなと思います。夜なら尿取りパッドを交換してもらえたり、日中ならトイレに誘導してもらえたのかなと思います。
実際の所は分かりませんが。
母の時は小規模の施設にしようと思います。

・ポータブルトイレ
上記の通院の際に施設の看護師さんから、父がリハパンをむしってトイレに捨ててしまうけれど、ポータブルトイレだと転んでしまうかもしれないから無理ねと言われ、そうなんだと納得していました。
今にして思えば、ポータブルトイレなら父がリハパンをむしって捨ててもトイレが詰まる心配はありません。
ポータブルトイレについて調べると、中にセットする紙バッグがあって、丸めて捨てられるらしいのです。
また、ベッドわきに置けば移乗もスムーズらしいのです。
そう言う選択肢もあったかなと思います。

・寿命
夏に父が誤嚥性肺炎で入院した時、主治医からの電話でこう言われました。
「お年から考えて今回の入院で寝たきりになると考えられます。
また、誤嚥性肺炎は繰り返します。
そのたびに絶食するのでだんだん弱って行く事が考えられます。
お年から考えると、あと一年ぐらいで寿命を迎える覚悟をしておいて下さい。」
と。
たった一年?ショックでした。
けれど母や兄には言えませんでした。ショックを受けてしまうだろうと思い、私一人の胸にしまっておきました。
そして肺炎が治まってリハビリを開始した父は、寝たきりにはならず二本の足で歩けるまで回復しました。
私はそれを見て、医師の診たて違いだ、あと一年なんてとんでもない。もう数年は大丈夫だろうと思ったのです。
誕生日を祝ってもらった父も、100歳まで生きるぞなんて言っていまして、私も100歳までいけるかも、と思っていました。
しかし9月から父は頻繁に下痢をするようになりました。
そして、よく転ぶようになったのです。
今にして思えば、消化が弱って来ていたのでしょう。栄養吸収が弱って来れば足元もおぼつかなくなります。
父の身体は終末に向かっていたのかもしれません。
そこへ誤嚥性肺炎です。
入院して認知症が進んで食べ物を受け付けなくなってしまった。
点滴だけでは十分な栄養を取れないそうです。
誤嚥性肺炎の再発に耐えられなかった父は、再発から一日で亡くなってしまいました。
最初の医師の寿命宣告より短かったですが、長くはないと言う読みは外れていないと思います。
私は寿命を読み違えました。
医師の言葉を信用して寿命が近いと判断し、そして認知症が進んだ患者には入院治療はしないと言う考え方もあると分かっていれば、点滴せず、それに伴う身体拘束もせず、看取りに入る選択肢もあったはずです。
父の身体拘束による精神的苦痛は不要だった。
病室で助けてと言う父に私は、
「治ったら出られるからね、だからご飯食べて」
と言ったのです。
父は
「治らない。助けて」
と言いました。
父は死期を悟っていたのかもしれません。
助けてあげればよかった。悔やんでも悔やみきれません。