統合失調症はダウンシフトの夢を見る

統合失調症はのらくら生きたい

止まない雨の中を合羽を着こんで歩いてく

ただいたぶりたいだけだと思っていた

ご訪問頂きありがとうございます。

母が癌で胃を摘出するまでは、息するように嫌味を言い、ちょっとした事でブチ切れ
「お前は頭がおかしいんだ!」
「このキチガイ!」
などと罵倒しまくっていました。
まるで私をいたぶるのを楽しんでいるかのように。
そう言う事もあって都会で一人暮らしをしていたのです。

胃を摘出してからは人が変わったように穏やかになりました。
それで私が統合失調症を発症した時に、実家に戻る事が出来たのです。

最近の母は前頭葉が老化して理性が利かなくなったのか、しょっちゅう嫌味や文句を言いブチ切れるようになりました。
以前のように私をいたぶりたい欲求をおさえきれなくなっているようでした。

前頭葉の老化が原因なら、私が死ぬまでやめる事はない、死んで母から逃れたくてたまりませんでした。

先週の日曜は夕ご飯にとカレーを作ろうと、肉と野菜を煮込んでいました。
母が台所にやってきて
「ただ温めているだけだろう?」
と聞くので、
「ちゃんと野菜と肉を炒めるところから作ってるよ」
と答えたら母は、
「いらない。温めるだけのがいい。」
そう言いました。
また始まったと思いました。
私をいたぶって苦しむのを見て楽しんでいると思いました。
早く死にたい。
母から逃れたいと思いました。

鍋を火から下ろして保温カバーに入れました。
都会の友人にメッセンジャーでコールしようと思い、スマホを手に仕事部屋に行きました。
彼女は弟さんと、アルツハイマーのお母さんを自宅で介護していました。
あなたは一人で介護していて大変だろうから、辛くなったら何時でもコールしてと言ってくれていたからです。
メッセンジャーで「今コールしてもいい?}
と送りました。
20分ぐらい待ったでしょうか。
返事はありませんでした。
そうでした。
友人は週末はお稽古や友達とあったりとスケジュールを詰め込んでるらしい事がFacebookで伺えました。
忙しくて私のメッセージには気が付かないのだろう。
きっと私が死んでも気が付かない。
死んだと知っても充実しているから悲しくはないだろうと思いました。
送信を削除しました。

父の一周忌が終わったら死のうと思いました。
死ぬにあたって準備しなければと思いました。
先日地元の大学病院が献体が減って困っていると知ってパンフレットを請求していました。
手続きを済ませて兄に、私が死んだら献体するよう言わないといけない。
キャッシュバックやポイントにつられて沢山口座を作ってしまった。
2、3個に絞らないと。
などと考えて、それからしばらくぼーっとしていました。

ふと気が付くと、気持ちが落ち着いていました。
なんでだろうと考えたら、この空間には母が居ないからだと分かりました。
母に何か言われたら、この部屋に逃げ込んで物理的に距離を置けばいいんだと気が付きました。

落ち着いた気持ちで居間に戻りました。
鍋をコンロに戻してルーを溶かし、煮詰め始めました。
母がまた台所にやって来ました。
レトルトカレーを手にしています。
「これは一人分なの」
と言います。そうだねと答えると、
「それはたくさんあって食べきれないの。最後には捨てるの。だからこっち(レトルト)がいいの」
と母は言いました。

それで分かりました。
母が意図していることと口にしている言葉が違うんだと。
認知症によって発話がゆがんでいるんだと。
つまり文句も嫌味も母ではなく認知症が喋っているんだと。
キレるのは認知症で理解が歪んでキレているんだと。
そう思ったら、ふっと楽になりました。

今日はメンタルクリニックの受診日でした。
一か月どうでしたかと聞かれたので、母が認知症で嫌味を言ったり怒ったりするのが辛かったこと、でも、母が言ってるのではなく認知症が言っているのだと思ったら楽になったことを話しました。
先生は、良く気が付きましたねと褒めてくれました。

辛くなったら物理的距離を取る事。
母が喋っているのではなく、認知症が喋っている事。
コツを掴んだように思います。