ご訪問頂きありがとうございます。
昨日、父の見舞いに行ってきました。
お医者さんから聞いたんだけど、まだ家に帰れるほど体力は回復してないから、いったんリハビリ施設に入らないといけないんだよ。
そう言おうと思っていました。
精神科病棟のロビーに着いて看護師さんにだめもん父の面会ですと伝え、椅子に座って待ちました。
結構待たされました。
ようやく閉鎖病棟から出てきた看護師さんに案内されました。
トイレの使い方が分からなかったそうで、リハビリパンツを交換していて遅くなったそうです。
お詫びしました。
なぜかパジャマを脱いでしまって肌着一枚になっているそうです。暑いのかしら?と首を傾げていました。
確かに意味不明です。
個室に入ると肌着一枚で上体を起こしていました。
私を見ると、やあと言いました。
声が低音になっていてびっくりしました。
元気になったからお前たちに迷惑をかける事もない、家に帰るぞ、と体操の様に手を振り回します。
うぐっ。
言い出しづらいな。
お医者さんの許可が出てからね、と話すと、どこも悪くないぞと手を振り回します。
い、言えない…
おしっこ漏らす事も無いんだけどな。と、トイレを見ながら言います。
いやさっき交換したばかりだろ、と思いますが突っ込まないでおきます。覚えていないんでしょうから。
トイレを見ると鍵がかかっている時の赤い表示になっています。
あれ?とトイレのドアを開けると開きます。ただ鍵が下りていました。
前回出る時に鍵を下してドアを閉めたのでしょう。
それで今回混乱してトイレを使えなかったんだと思いました。
トイレを見ながら父は、でもこれが分からなかったと言う事は判断が悪いのかな?と言います。
ほう、自分を振り返れるのか。
家にいる時は自分は正しい、間違っていないと言い張っていたのに。
それからは何度も、今何歳だ?と聞かれました。
その都度、今91歳で誕生日を迎えたら92歳だよ、と答えました。
長生きだなぁと父はその度に言いました。
何度か年齢問答をした後、ぽつりと父は、お前たちに迷惑かけてまで生きたくないなぁと言いました。
今まで私たちに迷惑をかけている自覚は無かったのにとびっくりしました。
私は、そっか、としか言えませんでした。
父親に愛情を感じている子供なら、迷惑なんかじゃないよ、長生きしてと言えるんでしょう。
しかし愛情なんてものは親に感じていません。
父は現役時代は仕事人間で、家の事も子供の事も母に任せきりでした。
おかげで母は好き放題に私をいたぶりました。
私の眼には父は母の味方に映っており、そんな父には愛情なんて抱けませんでした。
小学校低学年ぐらいは、いつか両親に復讐してやると思っていました。
しかし年齢が上がり勉強して世界が広がって行くと、両親の為に人生を無駄にするなんてもったいない。自立して親に文句を言わせず独りで生きて行こうと方向転換しました。
都会で派遣で働き始めてからは、都会に骨を埋めるつもりでした。
しかし統合失調症で働けなくなり帰郷。
何かの折に母へ虐待の恨みつらみをぶつけた後は、恨みはどうでも良くなりました。
しかしそこで親への愛情が湧いてくる事もありませんでした。
結局施設入居を言い出せないまま面会時間が終わりました。
閉鎖病棟を出る時に看護師さんから、次は月曜日ですねと言われてびっくりしました。
病状説明かと尋ねると、施設の事前訪問ですと言われました。
ああ、施設との面談なんだと納得しました。
私に連絡が無いと言う事は、出席しなくてもいいのかなと思いました。
月曜日の午前の内に、施設に入居を言い出せなかった事を連絡しようと思いました。
おそらくは伝えても忘れてしまうとは思いますが。
病院の退院後生活相談員さんには、病院の方からリハビリが必要なのでと施設入居を勧めてほしいと連絡してあります。
相談員さんからは医師とそのように伝えてみると言ってもらえました。
うまく面談ができるといいなと思います。
もしうまくいかず、父が家に戻る事になったらどうしよう。
深夜に朝と勘違いして起きてくる父の対応をしていたら、寝不足で仕事をミスするようになりました。
統合失調症も悪化し始めていたのか、ノイズのような音が聞こえ始めていました。
父が戻ってきたら仕事を辞めないといけないですね。
老後資金が足りなくなって老後破綻です。
統合失調症も悪化するでしょう。
悪化するたびに症状が重くなり、社会復帰は出来なくなる病気です。
そうなるぐらいなら死んだほうがましだなと思います。