統合失調症はダウンシフトの夢を見る

統合失調症はのらくら生きたい

止まない雨の中を合羽を着こんで歩いてく

無意味でも無価値でも生きてていい

ご訪問頂きありがとうございます。

あれはいつ頃だっただろう?
幻聴が聞こえていなかったので陽性症状は終わっていたと思います。
少しやる気が出ていたので陰性症状も終わりに近づいていたと思います。
私は昔は作家になる事を夢見ていました。
出先でiPod touchで書いてはPCにバックアップを取っていました。
しかし陽性症状の時に幻聴と妄想に追いつめられてiPod touchのPINを変えてしまったら思い出せなくなりました。
バックアップであるPCはと言うと、これも幻覚と妄想でウィルスに汚染されたと思い(それとも現実なのかは分かりません)ハードディスクをぶっ壊してしまいました。
過去に書いた作品は取り出せなくなった。
そこでもう一度書き直そうと思ったのです。
新しく購入したPCのエディタを立ち上げて、さあ、書こう。
そう思ったのですが、言葉が出てこない。
そして何より活き活きと心に映し出されるはずの登場人物たちの姿がぼんやりと霞んでしまって捉えられなくなってしまったのです。

書けなくなった…
私はただひたすら心に映し出される情景や人々を書き取るだけでしたので、見えなくなったのは致命的です。
そして描写するための言葉も出ない。
物語が尽きてしまった。
何の価値も無い人間になってしまった。
生きる意味も生まれてきた意味も失われた。
絶望しました。

その時ふっと
『無意味でも無価値でも生きてていい』
そんな言葉が頭に浮かんだのです。
こんな自分でも生きてていいんだ。
許されたような気がしました。
淡々と無意味に日々を送るだけの人生でも、いいじゃないか。
そう価値観が転換された瞬間です。
死に向かいかけた意識を察知した生存本能のなせる業だったのかもしれませんね。

思えば私は自分の存在価値を証明しようと自分自身を追い立ててきたような所がありました。
幼いころからしくじるたびに母から
「お前は頭がおかしいんだ!」
「このキチガイ!」
と罵倒され続けてきました。
生きる正当性を否定されたように感じ、それに逆らおうと必死だったのだと思います。
また、正社員をやめて派遣になってからは、労働市場で自分の価値を証明し続けなければ食いっぱぐれると言う危機感にも追い立てられていたと思います。
そんな価値観から解放されたように思いました。

それと同時に生きる事に必死になっていない(ように見える)人たちに対して、逃げてるとかぬるいとか批判的に見ていた事に気が付きました。
恥ずかしくなりました。
ぬるくていいじゃないか。
穏やかに淡々と日々を過ごしたっていい。
自分もこれからはそんな風に生きて行きたい、そう思えるようになりました。

自分の作品は命より大切だと思っていましたが、
失う事で新しい人生を始められた。
人生って不思議ですね。