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昨日までは同僚と談笑し、給料日だからとコンビニで給料を降ろしがてらコンビニスイーツを買い、家族と美味しいと言いながら食べていたのです。
ところが今朝、目が覚めても起きられません。
ぐるぐるMさんの事を考えてしまいました。
これまでは目が合うとそれだけで嬉しかった。日々の楽しみになっていました。それが無くなりました。
Mさんはご家族が病気で、そのせいでしょうか、時々廊下で電話している姿を見かけました。
その後、じっと見つめてくる事がありました。
頼りたい気持ちがあるのかな?と思い、必要とされているような気がして、少し心がつながっているような気持になっていました。
それが無くなりました。
私は要らない人間になったんだな。
居なくていい人間になったんだな。
なんで存在しているんだろう。
生きていなくていいんじゃない?
なんで生きていないといけないんだろう?
必要ないよね?
私が死んでも、世の中回っていくわけで。
私に頼り切っている両親は困るかもしれませんが、兄が何とかするでしょう。
職場は困るかもしれませんが、本社が応援を寄こすでしょうし、代わりを雇えば済む話です。
同僚は一瞬悲しむかもしれませんが、すぐに忘れるでしょう。
友人たちはもう少し長く悲しむかもしれませんが、日常に薄められて忘れていくでしょう。
あ、友人の一人は、病気で亡くなった友を、毎年命日に悼んでいるんだった。
きっと私の事も命日に思い出すでしょう。
あれ?病気と自殺じゃ違うかな?もしかして後悔したりする?
それは良くない。やっぱり死んじゃいけないな。
いや、それではいけません。
生きる理由を他人に預けるのは、無責任です。
空っぽの自分の中に、生きる理由を作らなければなりません。
以前はどうだったかな?
統合失調症になる前は、小説を書く事が生きがいでした。
自分にしか見えない世界、人達を書き記すのが使命だと思っていました。
それが、陽性症状になると、幻聴と妄想で頭がいっぱいで、書く事は出来ませんでした。
陽性症状が終わって、やっと書けるようになると、今度は見えていた世界が見えなくなりました。言葉も出てこなくなりました。
それとは引き換えに、世界を再発見したような心持でした。
幻聴と妄想でいっぱいの状態では、周囲に目をやる余裕はなかったのです。音もよく聞こえていませんでした。
それがはっきり認識できるようになったのです。
それだけで幸せだな、と感じられました。
出来ない事は沢山になったけど、鳥が歌い、花が咲き、お日様が輝き、雨が滴り、月や星が輝く、それだけで幸せを感じられ、それで十分に思えたのです。
今は何も感じないけど、何か探さないとな。
そう思いながら起きて、居間に降りて新聞を広げると、有名な美術館の展示が、夏にやって来ると言う広告が目に入りました。
絶対行きたい。わくわくしました。
こう言う小さな目的をつないでいけばいいんでしょうかね。
そこから連想して、メトロポリタン美術館にルイス・コンフォート・ティファニーのステンドグラスを見に行きたい、と思いました。
小学生の頃に見た雑誌に載っていて、成人してからは、日本の美術館でルイス・Cの作品が収蔵されている所へ一人旅したりしたものです。
定年退職したら、記念に行こうか。
そこからさらに連想して、県内の他都市にある、好きな画家の美術館に行きたい、と思いました。
ちょっと交通が不便なんですけどね。コロナが終息したら行ってみようかな。
ぽつぽつ出てきますね。
淡々と日々を送ってきましたが、少しアンテナを張るようにしようと思います。
そうしたら、あれこれ見つかるんじゃないかな。