統合失調症はダウンシフトの夢を見る

統合失調症はのらくら生きたい

止まない雨の中を合羽を着こんで歩いてく

父を送りました

ご訪問頂きありがとうございます。

先週の土曜日、秋晴れの日。
午前中に病院から電話があり、熱が出て血圧が下がって意識もはっきりしないので今日の早い内に病院に来てほしいと言われました。
母と駆け付けると誤嚥性肺炎の再発でした。
延命措置をどうするか尋ねられ、母と相談して延命はしない事にしました。
血圧が上がらなければ明日が限界だろうとの事でした。
兄に電話すると、引継ぎをしなければならないので翌日の夜に到着になるだろうと言いました。
病室で父に、頑張って!お兄ちゃん明日帰って来るからそれまで頑張って!と声をかけ続けました。
おでこを触ると燃えるように熱く、手は冷たかったです。
13時半頃には母に疲れが見えたので、いったん帰宅して母を休ませ、洗濯などの家事を済ませました。
1時間ぐらいしたころに再び電話があり、呼吸が止まったと告げられ病院に急ぎました。
モニターはフラットラインでしたが、お願い起きて、息を吸ってと何度も呼び掛けてしまいました。
自分でもびっくりするぐらい涙が出ました。
燃えるように熱いおでこが段々と冷たくなり、それで漸くもう戻らないんだなと悟りました。
なかなか捕まらなかった担当医が到着して死亡宣告されました。

看護師さんがエンゼルケアしてくれる間に、父が積み立てしていた葬儀社に迎えをお願いしました。
母と手分けして、兄や父の兄弟、母の兄弟に連絡しました。
看護師さんたちがもう入っていいですよと言うので病室に戻ると、病院が用意してくれた浴衣に着替えた父は、苦悶の表情を浮かべていたのがすっかり穏やかな表情に変わっていました。
迎えの時間が近くになり、ストレッチャーで看護師さんと担当医に付き添ってもらいながら普段とは違うエレベーターで降りました。
負担とは違う出入り口に着きシャッターが上がると葬儀社の人達が待機しており、寝台車に父を乗せ、私と母も乗り込みました。
葬儀社に着くまで夕暮れの街並みを眺めていました。

葬儀社に着くと準備が出来るまでラウンジで待機。
母に何が飲みたいか聞くと、普段はコーヒーを飲んでいるのに珍しく紅茶がいいと言うので淹れてあげました。
市内に住む母方の叔母とその息子が駆けつけてくれました。
準備が出来たと言うので親族控室に移動しました。
父はきれいな布団に寝かせてもらっていました。
口を用意された綿棒で濡らしてあげました。

葬儀社の人からお寺さんを読んで枕経を上げてもらうように頼まれたので、檀家になっているお寺に連絡。
到着まで葬儀社の人と大雑把な日程を決めました。
母はぼうっとしているので叔母も手伝ってくれました。
お坊さんが到着して枕経を上げてもらい、葬儀で何人来てもらうかの話になりました。
二人まではそのお寺さんから、三人からは他のお寺から呼ぶことになり、お布施はその分プラスアルファになると聞き、母に何人来てもらうか聞いたら、二人じゃ寂しいから三人と答えます。
ぎゃーっ
戒名も院号を付けるよう母と叔母の合唱。
ひーっ
会場も教え子がたくさん来るから広い所と大合唱。
教え子の間で話題になるから死亡広告も出すよう、従兄弟も加わって大合唱。
メタボな葬儀になる事が決定しました。
その日は帰宅しました。

翌日会場に着くと、母方の叔父がちょうど都会から到着しました。
葬儀社の人と詳細な打ち合わせに入りました。
ここでは叔父が活躍してくれて、廉価な方を選択してくれました。
控室にはベッドルームも浴室も付属していて、叔父が泊まりこんででくれる事になりました。
その晩は帰宅してしばらくすると兄夫婦が到着しました。

次の日は午後から湯灌がありました。
清拭してもらう選択もありましたが、10月上旬に入院してからお風呂に入っていないだろうから湯灌を選びました。
二人の納棺師さんが丁寧に洗ってくれました。
兄が手を、私が足を濯ぐのを手伝いました。
足を洗ってあげた事も無かったなと反省しました。
最後は顔をアロマジェルで保湿、足をアロマオイルでマッサージしてくれました。
死に装束を着せてもらって、兄が手甲を、私が足袋と草鞋を履かせました。

翌日は出棺の儀から始まりました。
皆でお花を入れて、父の自費出版の本も入れてあげました。父の姉や友達が自費出版したので俺も!と書いた本です。内容は自分の功績自慢…
父を大嫌いだと言っていた母が泣いたのが驚きでした。
お棺は釘打ちしないで、皆でお別れの言葉を書いた帯で封をしました。
火葬場へ着き、焼いている間は交代でお水を替えてあげました。
お骨になると、結構しっかりした骨でした。そう言えば骨折した事がありませんでした。
お骨を拾っていると、確かに父は旅立ったんだなと実感しました。
葬儀社に戻ってお通夜が始まりました。
席次を考えるのは兄が到着する前で随分悩みましたが、皆さん話が弾んでほっとしました。

翌日の葬儀までにお坊さんに渡すお布施をかき集めるのに苦労しました。
母の分散した口座から集めますが、この地方の金融機関は高齢者は一日の引き出し金額に上限を設けているのです。
何日もかけて引き出しました。
高額の現金を葬儀が終わるまでしっかりと持っていないといけないので緊張しました。
葬儀に集まった人は母の予想よりも少なかったですが、それなりに席が埋まって良かったです。
米寿記念に撮った父の写真映えが良くて、きれいな祭壇になりました。
兄が思いがけず立派な喪主挨拶をして、不覚にも涙ぐんでしまいました。
葬儀が終わってお坊さんにお布施を渡して、やっと一息付けました。
その後の会食も話が弾んでほっとしました。席次に悩んだ甲斐がありました。

喪主に代わって決める事が多くて、気疲れしました。
それでも父の教え子さんから知らなかった父のエピソードが聞けて良かったと思います。
メタボではありましたが、全般に良いお葬式になったと思います。
ほっとしています。