統合失調症はダウンシフトの夢を見る

統合失調症はのらくら生きたい

止まない雨の中を合羽を着こんで歩いてく

納骨しました

ご訪問頂きありがとうございます。

今日は父の四十九日。
納骨してきました。

事前にネットから仕入れた情報では、怪我したり服を汚さないように石材店などに手伝いを依頼した方が良いとありました。
えー、と思って同僚に聞いてみると、そんなに力は要らないとの事。
えいやっと、お墓の前のあれを動かすと、ぽっかり穴が開くそうです。
そこへ手でガシガシ入れるのだそうです。
兄にお願いすると、いいよと言うので、石材店には依頼しませんでした。

四十九日法要をどこでやるかは右往左往しました。
最初は母が家でやると言い、お寺に家でお願いしますと電話しました。
しばらくしたら今度はお寺でやりたいと言い出し、またお寺に電話しました。
三七日でお寺さんが来た時に、用意するもののリストを頂いたのですが、大きなろうそくや長ーいお線香やお膳を手配するなど面倒だと母が気付き、再び家でやりたいと言い出しました。
ちょうどお墓に戒名を彫ってもらった確認にお寺に行ったので、直接お寺さんにお話しして家でやる事に確定。
寒くなりましたからね、とお寺さんに言ってもらえてほっとしました。

今日はディスカウントスーパーの開店と同時に店内へ侵入。
お膳の材料とお供えの饅頭と、お花を三束(家に一束とお墓に二束)買いました。
寒さで脳みそまで冷えたのか、頭がくらくらしました。
一足ずつ足を動かせば家に辿り着く、と自分に言い聞かせて、やっとの思いで帰宅。
ストーブで暖まりながらほっともっとアプリをインストールしてお昼のお弁当を予約。兄の好きなカキフライのり弁当にしました。
そして宅配寿司に晩のお寿司を予約。
忌明け礼状は葬儀会社に依頼したのが仕上がって来ていたので、郵便局に行って別納郵便で出しました。
お昼になって兄夫婦が到着しました。
兄は風邪を引いたとの事で声がガラガラでしたが、お墓には行くと言い張りました。
時間になったのでほっともっとに行くと、お弁当はすぐ出てきました。しかもほかほか。便利な世の中になりました。
気が付くと8500歩を超えていました。どうりで疲れたはずです。
でもお弁当を皆さん美味しいと言ってくれたので、頑張った甲斐がありました。

予定の時間より少し早くお寺さんが来ました。
いつもの黒装束でしたが、そこからカーキ色の服に着替えていました。着替えの分、早く来たみたいです。
車をお願いしていた叔母も来てくれました。
兄がレンタカーを手配しようとしたのですが、空きが見つからなかったのです。
叔母には晩御飯もぜひ、とお話ししていたのですが、従兄弟は今日お勤めだし晩御飯用意しないといけないからと断られていました。
母と相談してこっそりお持たせのお菓子にご飯代を忍ばせました。
四十九日法要だけあって、お経は長めでした。
お経と焼香が終わり、仮位牌はお寺さんに引き取ってもらいました。
喉仏が入った(だったっけ?)小さな骨箱の方は、本山に分骨しても良いし、後日お墓に入れてもいいそうです。
一度永平寺に行ってみたいとは思っていたので、時間を作って行ってみようと思いました。

さあ、お墓へ移動です。
塔婆とお線香とろうそくとマッチ、お花とお供え饅頭を持って叔母の車に乗せて行ってもらいました。
幸い雪も止み、積もった雪も解けていました。
お墓について困ったのが、墓石の周囲はコンクリートで固めているので、塔婆を立てられないのです。
仕方が無いので墓石に立てかけました。
なかなか不安定です。
結局棹石の横に横たえました。
取り敢えずお花と饅頭をお供えし、ろうそくに火をともしお線香を点けました。
そしてお寺さんを呼びに行きました。
和尚さんともう一人、平服の方がやって来ました。
そして分かったのが、ろうそくやお線香に火をつけるのは、お骨を入れてから。ありゃりゃ。
とりあえずろうそくの火を消すと、平服の方がろうそくの乗った台を手前に引きました。力ぜんぜん要らなさそうでした。
すると、ぽっかりと穴が開きました。ここからお骨を入れるのか。
そして骨箱の覆いを外すと、埋葬許可証とお経が書かれていそうな紙と入れ歯が出てきました。
入れ歯は土に還らないので入れられないとの事で、持ち帰りました。
埋葬許可証は平服の方が、お経が書かれてそうな紙は和尚さんが手に取り、お骨の入った袋を開けました。
和尚さんのお経が始まり、平服の方が持参した、ハスの葉をかたどった塵取りのような何かに兄が袋からお骨を開け、その塵取りからお墓の穴に刷毛でお骨を入れていきました。
手づかみじゃないんだ。
順番にお骨を入れていき、最後に頭の骨を入れました。
入れながら、父はもう帰って来ないんだと改めて実感して悲しくなりました。
お骨を入れ終えると、焼香して完了でした。

帰宅して後飾り祭壇を見ると、当たり前ですが骨箱はもうありません。
父はここには居ないんだなと寂しくなりました。
四十九日は一区切りと聞きますが、気持ちはなかなか区切りがつかないものですね。